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ゲゲゲの鬼太郎第6期・第22話『暴走!最恐妖怪牛鬼』 感想

 開幕からまなちゃんがノースリーブで腕を上げいやそこじゃない。

 今回の原作は「牛鬼」。
 牛鬼は、本来はウシオニと読みますが、鬼太郎作品に限ってはギュウキと読みます。
 自分を殺した者に取り憑いて永遠に再生し続けるという、「鬼太郎」に登場する敵の中でもかなり厄介な能力を持つ妖怪・牛鬼。それを倒してしまった鬼太郎さえも新たな牛鬼となり、もはや事態を解決するすべはなし。目玉おやじ達は最後の希望である迦楼羅様に祈りを捧げる――。
 鬼太郎が別の姿に変じてしまうケースは多々あれど、自我すら失って暴れ回り、生かして元に戻す手段は皆無。しかも鬼太郎を殺したところで牛鬼そのものは倒せない……。そんな絶望的な展開に加えて、牛鬼の迫力あるビジュアルが印象に残る本作は、歴代アニメ版でも定番エピソードの一つになっています。

 余談ですが、原作では80年代マガジン版で、この牛鬼(ただし不死身設定のない別個体)が鬼太郎の味方の一人として活躍していました。
 それまでもモブの味方として登場することはありましたが、鬼太郎ファミリーの一員にまで収まってしまったのは、この「新編ゲゲゲの鬼太郎」~「鬼太郎地獄編」シリーズのみ。
 見た目どおりのパワーファイターで、しかも敵を食べるという、直球な戦法を使ったこともありました。
 まあそれはともかく。

 さて今回のアニメ版。まずは牛鬼というキャラクターの描写が、とても印象的ですね。
 サイズを怪獣然とした巨大さに設定しながらも、夜の嵐という舞台や無表情な鬼面が、牛鬼の妖怪としての不気味さを引き立てていました。
 他にも、透き通った海の底に巨大な姿を見せる初登場シーンや、危機感なく撮影していた観光客をまとめて踊り食いするショッキングシーン。建て物の中で息を殺して牛鬼をやり過ごそうとする人々。その甲斐虚しく見つかって食われる犠牲者……などなど、怪獣スペクタクルとはまた違ったいくつもの演出は、まるでモンスターパニック系ホラームービーを見ているかのようで、とても楽しかったです。
 そして何より、牛鬼が積極的に角を使っている! そういや牛なのに、これまで角突きすることってほぼなかったよなぁ、なんて思いながら、感心して見てしまいました。
 ついでに、鬼太郎に指鉄砲で額を撃ち抜かれた時に、悲鳴やもがきを敢えて出さず、瞳の動きだけで絶命を表現するのも結構好きです。

 そして鬼太郎が牛鬼に変身する際の、グロテスクな域にまで達した恐怖描写。めっちゃ力入ってましたね。
 それ以前に、チンピラ芸能人のジングウジさんが牛鬼になってしまうところもグロめでしたし。これチビッ子は相当トラウマになったんじゃないでしょうか(笑)。ジングウジさん死んじゃって何のフォローもなかったしね。いや、なくて正解なんだけど。
 そういえば第三期をリアルタイムで見ていた園児時代、振り返った鬼太郎の顔が牛鬼になっているシーンで、子供心に本気でビビった記憶があります。
 第四期は恐怖感はあまりありませんでしたが、牛鬼に取り憑かれた社長が変身の予兆として生肉を貪り食うようになるという、面白いアレンジが為されていました。
 各シーズンとも、いろいろと工夫が凝らされていますね。

 さて、そんな牛鬼を足止めするために、たった一人で挑んだのが、我らがヒロイン・ねこ娘。
 次回予告からも予想がついていましたが、今回はねこ娘の主役エピソードという形になりました。
 迦楼羅様に祈る時間を稼ぐため……という名目こそあれど、おそらく相手が鬼太郎だったからこそ、ねこ娘もここまで命を張ったのだと思います。
 最後、迫る鬼太郎の爪を前にしてすべてを覚悟し、化け猫形態を解いたねこ娘。「鬼太郎に殺されるなら本望だ」と言わんばかりに見せた穏やかな表情が、気丈さと健気さを兼ね備えたバトルヒロインとしての彼女の魅力を、遺憾なく発揮していたように思いました。
 だからこそ鬼太郎が助かった後の、今までにない素直なデレっぷりが微笑ましく、そして鈍感な鬼太郎にニヤニヤしてしまうという、いいラブコメ回だったと……あれ、ラブコメ回?

 ともあれ、そんなねこ娘の活躍に加えて、舞台も漁村からリゾートアイランドへと様変わりした、新生「牛鬼」。
 しかしよくよく見れば、ストーリーラインはきちんと原作をなぞっていたことが、はっきりと分かります。
 実際、アレンジ度合いは第五期バージョンの方が遥かに高く、むしろ第六期になってなおここまで原作を踏襲したエピソードというのは、極めて稀。それほどまでに、この「牛鬼」という原作には特別感がある――ということかもしれません。

 ちなみに原作ネタと言えば、恭輔くんのお爺さんのキャラデザと、牛鬼に発砲する警官は、そのまま原作から持ってきた部分ですね。
 一方オリジナルキャラとしては、テレビ局のディレクターが光っていました(いや、ハゲだからとかじゃなくてな)。自分の失態をきちんと受け止め、責任を果たそうとする姿に好感が持てます。大人はかくあるべしですね。

 そんなわけで、とても見応えのある「牛鬼」でした。
 満足。


 次回は、たぶんオリジナルストーリー。
 突然のシネスコ。そして題材は……妖怪アパート?
 妖怪アパートと言えば、原作では砂かけ婆が経営しているアパートとしてお馴染みですが、それとはまた違ったものになるのかな。
 いったいどんな話になるんでしょうか。今から楽しみです。

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ゲゲゲの鬼太郎第6期・第21話『炎上!たくろう火の孤独』 感想

 ある意味、息抜き回。

 今回はオリジナルストーリー……なんですが、実はたくろう火自体は、原作でもメインの敵妖怪として登場しています。
 そちらは「妖怪クリーニング」というエピソードで、80年代の「少年マガジン」に連載されていた通称「新編ゲゲゲの鬼太郎」の中の一話。「新編~」は第三期で最も多くアニメ化されていますが、この「妖怪クリーニング」は当時映像化は為されず(※)、第四期以降も同様で、今回の第六期でもたくろう火がオリジナルストーリーで消化されてしまったため、またしばらくアニメ化は絶望的になってしまいました。
 「妖怪クリーニング」は、登場する主要メンバーが鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男の三人のみという、初期を思わせるシンプルさ。そこに加えて「火で服を洗う洗濯機」や、その服を着た人間達がたくろう火に変化して夜の町をさまよう怪奇シーン、巨大洗濯機にかけられる鬼太郎などなど見所が多く、「新編」時代の隠れた名作だと僕は勝手に思っています。
 実は、つばさ文庫のノベライズにも入れる予定で原稿を書いたのですが、ページ数の都合で没になったという過去もあり。本当に、いつか映像化されてメジャーエピソードになってもらいたいものですね。

※ただし、たくろう火がメインの敵として登場するエピソードはあります。第八十五話「河童一族とたくろう火」がそれ。何と「河童の三平」を原作にした必見エピソードです。

 さて、そんなたくろう火を、内気でおとなしい妖怪として主役に据えた今回のお話。
 もともと敵妖怪としてのイメージが強かった上にあの髑髏顔なので、少年風の喋り方にはかなり違和感があるのですが(笑)、それが謎のロボット・ピグと友達になって、互いに人見知りを克服していく様は、素直に頼もしく感じました。
 そういや自分も昔はかなり人見知りだったよなぁ、とか思い出します。今はだいぶ厚かましく振る舞えるようになったけど。
 で、実はそのピグなんですが……って、アイキャッチで盛大にネタバレしてしまうのは何とかならんかったんかい(笑)。

 はい、ピグの正体は、着ぐるみを着た雨降り小僧でした。
 こちらは原作では(モブを除けば)未登場。水木妖怪事典からの出張組です。
 ただ、実はアニメ版では、第二期を除く(たぶんね)全シーズンを制覇しているという、とんでもない妖怪。同じく登場頻度の高い出張組であるがしゃどくろなんかに比べると、見た目が地味なんであまり目立っていませんが、何気にすごいキャラです。
 ちなみに第一期は「猫娘とねずみ男」、第三期は「雨神ユムチャック」を映像化した際に、オリジナル要素として起用。一方、第四期と第五期はどちらもオリジナルストーリーながら、「墓場で運動会」ネタと絡めたところが思いっきり被っていました。第五期を見ていた当時、ちょっと気になった記憶があります。
 ともあれその雨降り小僧は、体が常に濡れているので、たくろう火と手を繋いでも大丈夫な模様。火と水、異なる者同士だからこそ芽生える友情もある……という形できれいにまとめていましたが、ぶっちゃけ性格的に似た者同士だったことの方が重要だったように思います。まあ、それ言ったら身も蓋もないか。

 今回は、率直に感想を言えば無難なストーリーでしたが、個人的に気に入った部分もありました。
 それは、たくろう火が遊園地で他の妖怪(ピグ/雨降り小僧)と出会うという展開を、偶然という形で処理しなかったところ。実はねずみ男の存在が伏線として機能していた――というロジカルな構成が、やはりミステリー脳の僕としては、「ほぉ」と素直に感心できる良ポイントでした。
 そんな、さりげない手堅さを感じさせる脚本だったと思います。


 さて次回は……おおっ、「牛鬼」だっ!
 きっと、原作や過去作を知っている人にはお馴染みの展開が待っていることでしょう。
 ねこ娘の凄い顔がいっぱい映ってましたね。シリアスモード全開な予感。
 楽しみに待っています!

テーマ : ゲゲゲの鬼太郎
ジャンル : アニメ・コミック

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ゲゲゲの鬼太郎第6期・第20話『妖花の記憶』 感想

 今回感想を書くにあたって、戦争というものについてどこまで所感を盛り込むべきか、考えました。
 僕も日本で生まれ育った者として、当然これまでに幾度となく、第二次大戦時代の悲惨さ、残酷さを聞かされてきました。いや、それに加えて水木漫画の愛読者である以上、やはりあの時代の苦しみというものに触れる機会は多かったわけです。
 ただ、これを受けて戦争に対する意見をいろいろ述べたとしても、それは「アニメ鬼太郎の感想を語る」という今回の趣旨からは、大幅にズレてしまいます。ですので、この辺りの部分はほどほどに抑えて、あくまでアニメの感想を述べたいと思います。

 今回の原作は「妖花」。
 怪奇要素は薄く、敵も現れず、ゲスト妖怪とも言える「妖花」は極めて無害な花――。しかし、戦争を題材にしたしんみりしたエピソードということで、昭和期マガジン連載時代の鬼太郎作品の中ではかなりの異色作であると同時に、印象に残る話になっています。
 もっとも、それ故にアニメ化の際には、大きく脚色されるケースが目立ってきました。
 ほぼ原作どおりのおとなしい形にまとめたのは第四期のみ。それ以外は、小鬼やがしゃどくろ、花魄、今回のトゥブアンなど、別の妖怪を絡ませて話を引き延ばし、時にはバトルシーンも盛り込むなどして、常に児童アニメ向きの改変が成されてきました。
 その良し悪しはともかく、そこまでしてでも毎シーズン映像化されてきたという点で、やはり「これは欠かせないエピソードである」という認識が、スタッフの間に根強くあるのでしょう。
 なお今回のトゥブアンは、バトル要素とは無縁で台詞もなく、あまり大きく自己主張をするタイプのキャラクターではなかったため、原作同様のしんみりとした雰囲気が充分保たれていたと思います。

 ちなみに、一連のアニメ版「妖花」で、僕が個人的に興味深く感じているのは、妖花の発生源である日本兵の男性と、その花を受け取るヒロインとの関係が、シーズンに応じて変わっているところ。
 父と娘、叔父と姪、祖父と孫……(第五期は日本兵ではないので省略)。シーズンを重ねるごとに、両者の間に時間的な距離が開いていることが分かります。終戦からそれだけ多くの時が流れた、ということです。
 今回の第六期バージョンでは、ヒロインも年齢がグッと上がり、戦死した男性のかつての恋人という設定になりました。ただし妖花を辿って南の島へ行くのは、彼女ではなく、まなの役目。つまりまなは、「妖花」におけるヒロインの座を、途中から受け継いだ形になります。
 そういう視点から考えれば、今回の妖花とヒロイン(まな)の関係は、「戦時中の男性」と「戦争を知らない世代の少女」という取り合わせであった、と読み解くことができそうです。

 島ではトゥブアンが日本兵の遺骨を守るため、毎夜戦火の音を幻聴として響かせていました。
 戦争は今なお恐怖の象徴なのだ、ということでしょう。
 そんな戦争の名残に触れたまなが、これまで朧げな知識しかなかった第二次大戦時代に、正面から向き合おうと考えるようになる――。今回はそんな物語でした。

 おそらく僕が若い頃にこのエピソードを見れば、さしたる感想も抱かなかったかもしれません。かつての僕は、「第二次大戦の悲惨さを訴える」作品に食通気味でした。毎年恒例すぎて、「またかよ」という気分にしかなりませんでした。
 正直に告白しますが、その流れもあって、水木先生の戦記漫画ですら、いまだにきちんと読めていません。
 僕があの時代に興味を抱くようになったのは、本当に、ここ数年のことです。
 戦前・戦中・戦後――。そこにまつわる諸々の歴史が、実は様々な国や個人の政治思想によって歪められ、今なお真実を巡って論争の渦中にあると知ったことから、ようやく第二次大戦時代に興味を持つようになりました。
 戦争にはいろいろな見方があるし、あっていい。「悲しい」「怖い」「(特定の国が)許せない」一辺倒の意見以外だって口にしていいのだと、分かったからです。
 ただ、どう見るにしても、「正確な知識」を持つことが大前提です。
 だから今回、戦争を知らない世代であるまなが、戦争について学び始めるラストには、大いに共感を得ました。

 もっとも、この時季はよく、「戦争を忘れるな」という言い回しを耳にします(まなのラストの台詞もそうでした)。しかし僕は、この言い方が好きではありません。
 忘れるも何も、当時僕らは生きていませんでした。だから、今となっては「知る」ことしかできないのです。
 ただ、これは戦争を経験していない世代の「強み」でもあると思います。
 知るためには、いろいろな情報を得ることが重要です。例えば今回鬼太郎と目玉おやじが述べた第二次大戦の説明は、極めて不充分かつ、誤解を招きやすいものでした。当時各国がどのような思惑で、どの国に対して、どんな行動を取っていたのか――。政治思想や感情論ではなく、記録と論理をもとに調べていかなければ、「戦争を知る」ことはできません。
 当時を生きた一個人の記憶だけでは、戦争は語れません。それは情報の一つに過ぎないからです。
 僕らは戦争を経験していない第三者だからこそ、あの時の戦争に対して、公平な目で物を見ることができるのだと思います。

 さらに、僕はこうも思います。
 戦争を経験していない世代には、もう一つ、とても大きな強みがあります。
 戦前・戦中・戦後を通して生まれた、国同士の軋轢、憎しみ、恨みを、現代に引きずりながら生きる必要がないのです。
 第二次大戦から七十年以上が経った今、世界情勢も、戦争の手法やあり方も、大きく変わっています。
 今を生きる者として、今の国際関係を第一に考える――。それが、各国が今後正しい道を歩み、互いに無用な争いを生ませないための第一歩であると、僕は思っています。

 そういう意味では、今回まなに日本人の代表として、「ごめんなさい」ではなく、「ありがとうございます」と言わせたこと――。
 脚本を書いたかたが意識していたかどうかはともかく、とても正しい台詞だったと、僕は思います。


 次回はたくろう火。
 原作では「妖怪クリーニング」というエピソードに登場する妖怪ですが……予告を見る限り、原作とは無縁のオリジナルストーリーになりそうですね。
 ではまた次回。

テーマ : ゲゲゲの鬼太郎
ジャンル : アニメ・コミック

tag : ゲゲゲの鬼太郎 水木しげる 妖怪 アニメ

ゲゲゲの鬼太郎第6期・第19話『復活妖怪!?おばけの学校』 感想

 今回は黒いオッサン(仮)との初顔合わせ編。相変わらずモソモソとした、よぅ分からんオッサンでした。
 いやしかし、それよりもメインは、復活した四妖怪との対決。たんたん坊、二口女、かまいたち、見上げ入道……と四人もいるのに、妙に少なく感じてしまうのは、内三人がワンセットの方々だったからかもしれません。

 ちなみに、過去に倒された妖怪達が再び敵として再登場する話と言えば、原作では「妖怪大裁判」が有名です。
 そこでは、一度倒されたはずの妖怪がなぜ復活するか――という説明は特になく、むしろそんな細かい設定を水木漫画に求める方が野暮でしょってぐらいのものなんですが、とにかく敵のオールスターぶりが楽しいです。見上げ入道や天邪鬼、おどろおどろといったガチな面々はもちろん、妙に小型になった蛟龍、当時一度きりのゲストキャラ扱いだった猫娘なんかも混じっていて、なかなかにカオス。
 まあ、「妖怪大裁判」は名エピソードなので、きっと第六期でもやってくれることでしょう。
 この他、アニメ版での敵妖怪再登場エピソードと言えば、第三期の「妖怪香炉 悪夢の軍団」(原作は水木プロ版鬼太郎)や、第四期の「悪夢!妖怪地獄」なんかがパッと思い浮かびます。また、再登場した妖怪達と敵対ではなく共闘したエピソードとして、第三期の「妖怪ハンター ヒ一族」なんかも、個人的には忘れ難いところです。

 話を戻して今回は、蘇った四妖怪が異空間に学校を開設。子供達を集めて、妖怪に作り変えようとしていた――という展開は、実は原作版の「見上げ入道」をベースにしたもの。謎の巨大ローラーも原作からの登場。こうして見ると、今回は純粋なオリジナルエピソードというより、「見上げ入道」のシーズン内再アニメ化という側面が強かったように思います。
 また妖怪城の三妖怪についても、「子供をさらって妖怪に作り変える」という行為は、実は完全に原作に準拠したもの。つまり見上げ入道にせよ、妖怪城の三人にせよ、原作では登場エピソードこそ異なれど、まったく同じ目的で子供をさらっていたわけですね。
 今回はたまたま、シーズン初期の敵キャラということで同時に復活したのかもしれませんが、そんな彼らの原作での共通項を、ここで改めて生かしてくれたのは、一原作ファンとして嬉しい限りです。

 さらにもう一つ嬉しいのは、今回の戦いが、きちんと初登場時のエピソードを踏まえたものになっていたこと。
 互いの手の内(秘法霊界流し)や弱点(見上げ入道見越したり)がすでに分かっていて、個々の因縁(入道とねこ娘、たんたん坊とまなちゃん)もあって、それらがしっかり反映されたバトルになっていたため、こちらは第六期ファンとしてポイントが高かったところです。
 ねこ娘の「遅いよ」までやってくれたんだから、これはニヤリとせずにはいられません。

 あと、今まで割りと空気だった蒼馬くんがちょっと活躍してましたね。
 第一話では、まなちゃんとのラブコメ担当係かと思ったら、ただの嫌なやつみたいになってて、すっかり存在を失念していましたが……。
 ここへ来てまさかの巻き返しなるか。いや、しかしまなちゃんはねこ姉さんとイチャイチャしててください。お願いします。

 そんなわけで、バトル部分についてはかなり満足なのですが、純粋にシナリオだけを見ると、少し肩透かしだった部分もあります。
 今回、見上げ入道達は学校の教師として振る舞っていましたが、彼らの掲げた教育理念は、子供達のことを第一に考えた素晴らしいものでした。だからこそ、子供達も元の世界には帰らず、学校に留まっていたわけです。
 ただ、もちろん妖怪達の態度はすべて演技で、本当は子供を妖怪に作り変えようとしていた――という真意が明らかになるわけですが……。
 僕が肩透かしだと感じたのは、まさにこの部分でした。
 うーん、これって、わざわざ子供達を騙す必要があったんでしょうか。原作版「見上げ入道」と同じように、「最初から誘拐してスパルタ教育」でも、話は成り立つんですよね。視聴者的にも、その方が見ていて楽しいですし。
 あるいは、妖怪達は本気で素晴らしい教育理念を掲げているのだけど、その果てには「子供達のためを思って彼らを妖怪にする」という結論が待っていて、それに気づいた子供達がピンチに……という展開でもよかったかもしれません。これはこれで深みのある話になりそうな気がします。
 しかし実際にはどっちつかずだったせいで、非常に中途半端な印象を受けてしまいました。教育理念の部分については、何か社会派っぽい要素を入れてみたくて、わざわざ捻じ込んだだけみたいな気が……。
 いや、そもそも子供が学校を嫌うのは、教育に不満があるからじゃなくて、単に遊びたいからってのが大半では? 素晴らしい教育体制の学校だから帰りたくないなんて、そんなアホなことがあるんかい、と。
 まあ、それ言っちゃうとストーリーが大きく破綻するだけなんで、やっぱり原作ばりのスパルタでよかったんじゃないかなぁ、と。
 今回は良回だと思いましたが、一方でそんな感想も抱いた次第です。はい。

 そして豆知識。アイキャッチに出てきた「大かむろ」について。
 実は水木先生の妖怪画ラインナップには、たんたん坊という妖怪が入っていません。たんたん坊は、あくまで「鬼太郎」のオリジナルキャラクターです。ただし、たんたん坊と同じデザインの妖怪がいて、それがこの「大かむろ」というわけです。
 たんたん坊と大かむろは、どちらもデザインの元ネタが同じで、江戸時代の『絵本小夜時雨』という本に描かれた、大入道の絵がモデルになっています。したがって姿は同じですが、キャラクターとしてはまったく別物ということになります。
 ちなみに、水木先生の「大かむろ」の絵と解説は、上記の『絵本小夜時雨』をベースにしていますが、大かむろという名前自体は、本来は別の妖怪のものです。鳥山石燕が創作した「大禿(おおかむろ)」がそれです。水木先生が絡んでいない妖怪本に「大禿」が載っている場合、それは本来の石燕版を指している可能性があります。
 ……以上、ややこしいですが、覚えておくと誰かに自慢できるかもしれません。誰にだよ。


 今週はここまで。
 来週は――この時期ということで、そろそろ来るんじゃないかと予想していましたが、やはり来ましたね。
 はい、「妖花」です。
 原作では「何も起きない、しんみりしたエピソード」としてお馴染みですが、アニメ版では結構アレンジが入ることが多いです。
 さて、今回はどうなるでしょうか。楽しみに待ちたいと思います。

テーマ : ゲゲゲの鬼太郎
ジャンル : アニメ・コミック

tag : ゲゲゲの鬼太郎 水木しげる 妖怪 アニメ

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