解題「マキゾエホリック」 第三回

 それでは予告どおり、「マキゾエホリック」のプロトタイプをご覧いただきたい。ちなみに、安心してほしい。登場人物は五人に満たない。


◆無題(マキゾエホリック・プロトタイプ)プロット
 主人公はごく普通の男子中学生。彼はあるクラスメイトの女子に片想いを抱いていたが、彼女は自身の友人達と交友を深めるのに夢中らしく、主人公は声をかけあぐねていた。
 だが卒業を間近に控えたある日のこと、主人公は自分の下駄箱に、一通の手紙を見つける。それは問題の女子生徒が、友人の下駄箱と誤って入れたものだった。文面の出だしは、こうだ。
「あなたがこの手紙を読む時、私はもうこの世にはいないでしょう」
 動揺した主人公は、彼女にコンタクトを取り、問い質す。すると彼女は失敗を詫びた上で、自分の秘密を明かす。
 それによれば――彼女は異世界から来た巫女であった。その異世界は今、強大な魔王の手に落ちようとしているが、その魔王に対し「選ばれし勇者」として敢然と立ち向かう者達がいた。他ならない、日頃彼女と親しくしている、一部のクラスメイト達である。特に、中でも一番親しい男子生徒――もともと彼女が手紙を入れようとしていた下駄箱の持ち主であり、クラスの中心的存在――は、彼女にとって恋人と言い切れる相手だった。
 愕然とする主人公に、彼女は告げる。
「今日の放課後、私達は最後の戦いに向かいます。私はそこで、自分の巫女としての力を使い、この魂と引き換えに魔王を滅ぼすつもりです。でも、このことは誰にも話してません。あなたも、皆さんには内緒にしておいてください」
 それを聞いた主人公は、彼女に思いつく限りの説得の言葉を聴かせ、それが無理だと知ると、泣きながら激励を送る。彼女はありがとうと微笑み、去っていく。
 だが実のところ、主人公は迷っていた。その「最後の戦い」に自分も加わるべきではないか、と。
 自分は決して勇者ではない。だが、当のクラスメイト達に付いて異世界へ行き、手伝うことはできるはずだ。そして本当に彼女を愛するなら、そうすべきである。
 しかし一方で、こうも思う。何の力もない自分が、果たして助けになることが可能なのか、と。
 二つの考えがせめぎ合った末、結局主人公は、彼女を見送りに行くことさえせず、現実世界に留まった。決め手となったのは、「彼女の愛する人は自分ではない」という、絶対的な事実だった。そしてこの嫉妬心ゆえの結論に、主人公は自己嫌悪に陥る。
 だがその話を聴いた主人公の友人は、こう言って主人公を諭す。
「彼女にしろ勇者達にしろ、みんな自分達の人生を歩んでいるに過ぎない。でも、君は君だ。君としての人生を歩んでいるんだ。どんなに君が羨んだところで、君は勇者にはなれないし、なってはいけない。人生は、交わることはあっても、重なることはできないんだから」
 その言葉の意味を考えながら、主人公は眠れぬ夜を明かした。
 翌日――奇跡は起きたらしい。彼女は死ぬことなく、勇者達も悪を倒して、無事この世界に戻ってきた。そして卒業式の日、彼女は主人公にもう一度礼を言い、明日には故郷へ帰る旨を告げる。しかしその会話もすぐに終わり、彼女は恋人や仲間達との最後の別れを惜しむため去っていった。主人公は今一度、温かくも切ない気持ちで、彼女を見送るのだった。


 以上、名も無き物語である。お気付きの方もいらっしゃるかと思うが、いくつかの要素はそのまま『マキゾエホリック Case2:大邪神という名の記号』及び『Case3:魔法少女という名の記号』に流用されている(まあ、後者は「下駄箱に手紙が入っていた」という部分だけだが)。
 ライトノベル的な登場人物と、非ライトノベル的なストーリー。どっちつかずのため、おかげで持ち込める先がない。加えて長編に膨らませるのも難しいから、現時点で原稿化される見込みはない。そんな不遇な物語ではあるが、これこそが紛れもなく「君等の記号/私のジケン」及び「マキゾエホリック」へと繋がっていくこととなった、すべての基盤なのだ。

 そもそもこのプロットが生まれた発想自体は、非常に単純である。「ありがちな放課後冒険ファンタジー物語を、本来彼らに関わらないはずのエキストラの視点から描く」という、ただそれだけのことだ。しかし、「ではエキストラは何を想うか」という課題に私が向き合った時、そこに現れた答えは、それ自体が人生の価値観を問いかけてくるかのような、無闇に哲学的なものであった。
 基本的にライトノベルの登場人物の多くは、己の欲求を満たすためならば、それこそ命さえ懸ける。そうであることが格好良いとされ、読者の共感を得る。だが、それはあくまでヒーローやヒロインといった「主人公格」、あるいはその仲間や敵といった「脇役」が担う役割だ。「エキストラ」に求められるのは、そんな大胆不敵なことではない。
 エキストラの為すべきことと言えば単純だ。物語を織り成す際立った人物達の陰で、物も言わずに歩み、あるいは走り、時に座り込む。笑ったり泣いたりといった感情表現は、常に大勢でおこなう。生きてその場にいることが当然であり、死ねばまとめて追悼される。そして何より――ヒーローやヒロインの物語に介入し影響を及ぼすことは、決して許されない。
 しかし、だ。エキストラとて心を持つ存在には違いない。彼らがもしも物語への介入を望んだとしたら、どうなるだろう。ヒーローやヒロインの姿に陰ながら憧れ、自分もまた輝かしく立ち振舞いたいと願ったなら、果たしてその夢は叶うだろうか。
 その疑問に対して私がどのような結論を出したかは、プロットのとおりだ。すべては「失恋」という象徴をもって表せた。「羨み」「妬み」「不可能」「諦め」、そして何より「儚さ」。エキストラはエキストラなればこそ、どう足掻いたところで表舞台には上がれない。もし上がることがあるなら、それはすでに「エキストラ」ではなく、「脇役」だ。
 故に、このプロット化された物語の本質は、主人公の友人が語る台詞にこそ集約される。

「彼女にしろ勇者達にしろ、みんな自分達の人生を歩んでいるに過ぎない。でも、君は君だ。君としての人生を歩んでいるんだ。どんなに君が羨んだところで、君は勇者にはなれないし、なってはいけない。人生は、交わることはあっても、重なることはできないんだから」


 ところで、ふと疑問に思ったのだ。
 この台詞。果たして、真にネガティブと言い切れるものなのだろうか。

テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

tag : マキゾエホリック

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