解題「マキゾエホリック」 第八回

 この作品をミステリーにすると決めた時点で、ある一つの懸念が私の中に湧いてきた。それは「視点」だ。
 なるほど、確かにこの物語の成り立ちを思えば、主人公の視点をどこに置くかという問題は、極めて重要である。周囲で起こる雑多な事件に、「関係者」ではなく「第三者」として接触すること。あくまでエキストラの視点から、周囲で起きている壮絶だか何だか分からない事件を描くこと。それこそが、私の求めた作品だ。
 だからこそ、いわゆる「神視点」は避けたかった。あくまで、主人公一人に視点を絞らなければならない。


 ところが、ミステリーだ。謎解きなのだ。探偵が頭を働かせて事件を解決する。「僕らの記号」は、そういう形式を選んでしまったのだ。
 灘英斗は、実に頭の切れる人間である。加えて、非常に物事を客観視し、冷静に振る舞う。悩んで悩んで悩み抜いた上で答えを導き出すのではない。最初からすべてを見通す目を持った、実に立派な名探偵なのである。
 そんな人間は、推理小説の視点主として、果たして妥当だろうか。
 例えばホームズは名探偵だが、語り手はワトソンだ。これと同様、名探偵を引き立てるためには、視点を助手に移す必要があるのではないか。
 これが――私が、灘英斗を視点主にしてはならないと考えた、ミステリー的な意味での理由である。

 しかしもう一つ。彼が視点主にふさわしくないと考えた大きな理由が、別にあった。
 それは、私がプロローグを書いた瞬間のことだ。はっきり「拙い」と感じた。
 以下は、その問題のプロローグである。応募前に自ら没にした原稿だから、まさに本邦初公開だ。


◆「僕らの記号」没版プロローグ
 灘英斗にとって、桜とは忌み嫌うべき存在である。
 ちょうどこの時期になると毎年咲き乱れる。咲き乱れてアスファルトに撒き散らかされた薄桃色の花びらは、やがて踏みにじられて茶色に腐敗する。濡れそぼったいやらしい色の斑点が通学路に描かれる様は、いつ見ても好きになれない。
 桜を好む日本人はやたらと多いが、その内の何割が地面の汚らしさを直視したことがあるだろう。
 だから灘は桜が嫌いであり、その桜が咲き乱れる新年度というものが嫌いであった。クラスというある種の生活単位がリセットされる故に起こる、変わりゆく周囲に抗おうとするありがちな嫌悪感とは違うけれども、やはりこの時期、灘の気分が優れないのは、おそらく桜のせいなのだ。
「それで――」
 正面のテーブルを挟んで控える大型ソファ。そこに座った男の背後に広がる外の風景。窓ガラス越しに見える桜の色は、やはり鬱陶しいものでしかない。
「ご用件は何でしょう」
 神妙な面持ちを浮かべて見せつつ、灘は男に訊ねた。入学式の前日、突然家に電話してきて、こうして生徒指導室などという物々しくかつ狭苦しい所に呼び出したからには、何かそれ相応の理由があるはずなのだ。
 例えば入学許可の取り消し、とか。
 私立御伽学園といえば、都内でも名の通った進学校である。問題児童がいれば排除したがるのは当然で、それが入学前の生徒ならばなおさらだろう。悪い芽は早いうちに摘むに限る。程よく成長して人目に晒されるようになってからではまずいのだ。
 まあ、品行方正が売りの自分に、そのようなことは間違っても起きないだろうが。
「灘英斗くん、といったね」
 男は手元の書類と目の前の新入生の顔とを見比べながら、今さらなことを確認してきた。回りくどい。灘にしてみれば、こういう手合いが一番癇に障る。
「話は中学の方から伺ってるよ。三年間大活躍だった、とか」
 相手の心中など察しようともせずに男は続けた。いい加減蒸し暑くなってきたというのに、ご丁寧に黒のスーツを着込み、禿げ上がった額に玉の汗を浮かべているダルマ顔の中年男。決して見よいものではない。
 確か、名を三浦といったか。
「委員長でした」
 灘は正直に答えた。隠す必要などなかった。二次試験の面接でもそれを前面に出したぐらいだし、そもそも内申書目当てでやり通した仕事だ。この世界、自分の有利な面を見せつけた者が勝ちでなのある。
 三浦はそれを聞くと、嬉しそうにうんうんと頷いた。
 間抜けな絵だ。こちらはまだ入学式も終えてない半中坊だというのに、なぜこんな所で生徒指導担当教員を満足させているのか。
「いろいろと解決したそうだね。これはええ……去年の九月の記録。クラス一同が起こした授業のボイコットを、たった一人で治めた、と」
「そうですね。僕が治めました。確かにボイコットしたくなっても無理がないほど、教師陣が無能だったものですから」
 灘の台詞に三浦は軽く額を引きつらせた。額で表情が表せるのだから、器用なものである。
 もっとも怒り出すような気配はなかったが。
「じつは、そんな灘くんにたってのお願いがあってね」
 そして彼は、ようやく本題に入った。
「いま一度引き受けてもらいたいんだ。君が入るクラス――一年E組の生徒監視委員を」
「はあ、それは構いませんが」
 もったいぶった割には捻りも何もない展開である。灘は呆れ、それから再び桜の方に目を向けた。一階とはいえ距離が近いせいもあり、ここからではちょうど黒ずんだ幹とその上を覆う花弁の集まりしか見えない。それでも少し角度をずらしてやれば、あの薄茶色に変色した気色の悪い斑点が嫌でも拝めるのだろう。
 やはり桜の時期は嫌いだ。
「確かに誰でもというわけには行きませんからね。経験者の方がいいでしょう」
「そうそう、そのとおり」
 相手の視線が自分に向けられてないと知ってか、三浦は前にも増して激しく首を振りながら頷いて見せた。伝統玩具にこういうのがあった気がする。
 だが灘はそれでも桜から目を離さずに、向こうの要求を呑もうとしている己の愚かさに疑問を投げかけていた。
 生徒監視委員会――。国の法律によって全国の小中高に設置するよう義務付けられた、他の委員とは少し毛色の異なる代物。自分はそこに所属し、中学生活三年間のすべてを捧げた。
 だいたい委員会などというのは、いわゆる政治ごっこのようなものである。周囲の統率やら行事の運営やら、患者の世話やら身だしなみの点検やら、要は社会に出る前の未成年者に学校運営の真似事をやらせているだけに他ならない。どれも学問の徒たる自分達の役目でないことぐらいは、冷静に考えれば分かるはずだ。
 だから早い話が、あってもなくてもいいようなものなのである。政府が利用するという時点で間違っている。
 そのはずなのだが。
「実は君の所属クラスなのだが、ちょっとばかり問題があってね」
 汗をてかてかと光らせた生徒指導担当教師は、申し訳なさそうに付け加えた。
「生徒三十一名。いや、君を除くと三十名だが、いずれも過去に問題を起こしている連中ばかりだ」
 授業妨害や不純異性行為を始めとする校則違反はもちろん、器物破損に道交法違反、傷害罪に殺人未遂。いや、あるいはすでに人を殺めた者もいるはずだ、と彼は難しい顔で続けた。
「学校側で揉み消した件もあれば、一部のみが報道されたケースもある。ああ、これは君が引き受けるというから話すわけだが……」
 そう言われて久々に三浦の顔を見やる。これでわざわざ今日呼ばれた理由もはっきりした。要は有害物質で汚染された島の清掃係になれ、と言っているのである。
 やはり生徒に頼むことではない。
「彼らの入学を取り消すという選択肢もありますよ」
 灘は試しにそう言ってみた。これでクラスが自分一人、などということになったら相当お笑い種なのだが。
「そうもいかんよ。何しろ正規の入学手続きを済ませた後で判ったことなんだ。一人や二人ならともかく、三十人の生徒を――いや、正確には留年が含まれているから二十八人だが、しかしそんな多人数の入学を拒否すれば、マスコミの恰好の餌になること請け合いじゃないか」
 確かに。それでなくても学校で起きた事件というだけで、彼らの食いつきは凄まじい。
 二十一世紀に入って以降、未成年者が関与する事件は激増し続けていた。まあ、実際のところ、表立って取り上げられる機会が増えただけだろうが、ある時は加害者として、またある時は被害者として新聞の一面を飾り、そのたびに投書欄が賑わうような昨今。学校側がナイーブになる気持ちも分からなくはない。
 だから国の方でも、少しでも抑止力になれば、と考えたのだろう、ついに委員会は学校政治のみならず、警察の仕事までも請け負うようになってしまった。それが生徒監視委員会――略称監視委員会にして俗称チクリ委員会なのである。
 生徒が何らかの事件に関与すれば、それを逸早く解決し、あるいは学校に報告する。どう考えても生徒にやらせることではないと思うのだが、やはりそういった同年代の人物が日頃からクラスにいることが重要らしい。
 もっとも当然のことながら、他の生徒からの評判は散々だったが。
「それにこれは、大きな声では言えないが――」
 三浦の話はさらに続く。今までだって、充分大声では言えない内容だったと思う。
「入学予定者の中に理事長の孫娘がいるんだが、これが札付きの悪でね。小学生の頃から飲酒喫煙は当たり前。中学では地元の暴力団と関係して、薬物や売春の斡旋で相当儲けていたらしい。しかもバックがバックだけに学校側も手を出せず、いいように牛耳られていた、と……」
 なかなかのつわものである。そんな者を相手にしろ、というのか。
 だが灘にしてみれば、まだ要求を呑んだわけではない。確かに構わないとは言ったが、それは三浦が情報を出し切ってなかった段階での話である。今から断るという道もありだろう。
 それにこの生徒監視委員という仕事、このまま解放されずに続ける意味などあるのだろうか。
 三年間続けた今、いや、三年間も続けてきたからこそ、そう思う。
「――心配ありませんよ」
 しかし灘は、極めて何事も無いかのように軽い調子で答えた。
「あまり気にしないでください。生徒なんて、誰もが多かれ少なかれ問題を抱えているんですから」
 僕も含めてですがね、と付け加える。
 三浦はハハハと乾いた笑い声を上げた。灘もまたそれに釣られるようにして薄笑いを浮かべながら、やはり桜は嫌いだ、と心の中で呟いた。


 以上である。原稿からそのまま引っ張ってきたものなので、誤字脱字の類は勘弁してほしい。
 それはそれとして、お分かりいただけただろうか。なぜ、灘英斗が視点主にふさわしくないのか。
 よく分からんとお思いの方は、ぜひ想像してみてほしい。こんな調子の捻くれた語りが、長編一冊分に渡って延々と続くことを。

 そう、ぶっちゃけ、ウザイ。
 これに尽きる。

 だからこそ、彼には視点主から降りてもらった。灘英斗という人物は、ミステリー的にも性格的にも、語り手には不向きだ。だからホームズの例に倣い、その役は助手に譲ることにした。
 助手。要するに、高浪藍子である。
 だが実のところ、これは英断だったと思うのだ。藍子は灘に比べると、頭の構造が比較的等身大である。加えて「転校生」という立場上、例の奇怪なクラスに初めて触れるシーンが描ける。事件に巻き込まれてドタバタする様は、視点主としては大変美味しい。むしろ彼女こそが正当な主人公なのではないか。
 もはや藍子しかない。そう思った。

 しかしここでもう一つ、考え直すべき要素が見つかった。以前にも述べたとおり、私は当初、灘と藍子の関係を、いかにもライトノベル的な「カップル」として収めるつもりだった。ところが、改めて藍子の視点に立って物語を動かそうとすると、それが非常によろしくない。
 なぜか。よく分からんとお思いの方は、ぜひ想像してみてほしい。

 もしあなたがうら若き女子高生だとしたら。あなたは果たして、こんな捻くれたウザイ野郎に惚れるのか。

 だから、灘と藍子の関係は、当初の予定から一変した。
 灘は藍子を心の底から呆れた目で見やり、そんな灘を藍子は真剣に鬱陶しがる。それでも何か事件が起こるたびに藍子が巻き込まれるものだから、二人は距離を置くことができない。ある種の腐れ縁だ。
 でも、これはこれでいい。適度に罵り合いながら話を進めてくれるなら、「コンビ」としては充分にアリだ。

 かくして、高浪藍子という名の主人公が、ここに誕生したのである。
 タイトルも変化した。「君等の記号/私のジケン」。あくまで藍子が軸になったのだ。


 なお余談だが、仮に「マキゾエ」が最終的にシリーズの決着を迎えた時(そんな時が来るならありがたいのだが)、藍子と灘が恋人同士になるかと言えば、それはない。作者として明言しておきたい。

 そしてもう一つ余談だが、ここまで貶しつつも、私は灘という男が嫌いではない。
 なぜなら、彼は私が今までに書いたキャラクターの中で、最も私自身に近いやつなのだから。

テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

tag : マキゾエホリック

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