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言葉狩り

 僕は子供の頃から、いわゆる「言葉狩り」と呼ばれる現象に、非常に嫌悪感を抱いていた。
 「○○という言葉は差別的なので使ってはいけません」というのを誰かが一方的に決め、それに従わない者には社会的制裁が与えられる。マスコミや作家は制裁を避けるために別の言葉を模索するが、しばらくするとまた「その言葉も差別的なので使ってはいけません」と誰かが言い出し、結局また別の言葉を探すようになる。
 どう考えても馬鹿馬鹿しい現象だ。当たり前だが、それが差別かどうかなど、その言葉を実際に口にしたり文字に起こした時のニュアンスで、様々に変わる。それを一まとめに規制して別の言葉に置き換えたところで、何も変わらない。むしろ表現の自由に対する冒涜でしかない。
 いや、表現の自由を狭めるだけならまだしも、時には実害さえ生みかねない。


 昨日の朝日新聞に、こんな記事があった。
 ――認知症患者の「徘徊」という表現は、本人が傷つくから使うべきではない。あれはあくまで「外出」という認識でおこなっているものだから、区別してはいけない。
 そのような動きが自治体に広がっているという。まあ、朝日が言うことだから、どれぐらい話が盛られているのかは分からないが、何にせよ「徘徊という言葉を使ってはいけません」と騒ぎ出した勢力がいるのは確かだ。
 しかしこの話題について一番恐ろしいのは、朝日新聞の以下の宣言だ。

> 朝日新聞は今後の記事で、認知症の人の行動を表す際に「徘徊(はいかい)」の言葉を原則として使わず、 「外出中に道に迷う」などと表現することにします。
(記事より引用)

 「徘徊」ではなく「外出」になるという。
 このような置き換えをした場合、記事内できちんと「認知症である」と明言が為されるのなら、まだいい。しかし、仮に明言が為されなかった場合は、ニュースの核がスッポリと抜け落ちてしまう。
 「徘徊中の事故や行方不明」となっていれば、徘徊行為そのものに問題があるのだと分かる。ところが「外出中の事故や行方不明」となると、問題の本質が一気にぼやけるのだ。
 これまで徘徊行為への対処として、認知症のかたが外へ出る時は介護役をつけたり、常に名前と連絡先を書いた紙を持たせたり、周りでも徘徊中と思しき人を見つけたら声をかけるなど、家族だけでなく社会ぐるみでのサポートも視野に入れてのケアが必要なのだということが、広く提示されてきた。
 だが、この徘徊をただの「外出」に置き換え、認知症のかたが一人で「外出」することの危険性を訴えないとなると、誰も事前の対処など出来なくなる。いや、少なくとも「徘徊を使うな」と言っている団体は、そのような対処を、過剰な危険視であり認知症差別に繋がると見なしているようだ。
 憐れみの目で見られるのが嫌だ、ということだろうか。そういう感情は決して理解できないわけではないが、所詮ただの強がりである。その強がりだけで事前の対処を怠り、事故や失踪などということになったら、後の祭りなのだ。
 朝日はその点をきちんと理解した上で、上記の宣言をしたのだろうか。
 今後新聞を読んで大人になった次の世代が、認知症の家族の一人歩きに対して危機意識を持たず、何のケアもしない――という狂った社会が生まれないよう、配慮した記事作りができるのだろうか。

 とりあえず、僕はまったく期待していない。

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