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ゲゲゲの鬼太郎第6期・第15話『ずんべら霊形手術』 感想

 今回はお待ちかね、「鬼太郎シリーズ以外の水木作品」からのアニメ化エピソードです。
 旧作からのファンにはお馴染みですが、アニメ版鬼太郎では毎シーズン、必ずこの手の回が登場します。
 もともとは原作数の不足を補うための策でしたが、第二期でこれを多用したところ、結果的に怪奇や風刺といった水木色の強いエピソードが多数誕生。好評を博したことから、第三期以降も繰り返しおこなわれ、今やすっかりアニメ版鬼太郎のお楽しみの一つとなりました。
 ちなみに、過去にどのようなものをやっているかは、こちらの記事をご参照ください。

 で、今回の原作は「霊形手術」。
 ――整形手術で美貌を手に入れた月子は、許嫁のブサイク男・三吉に結婚を断念させるため、町で出会った奇妙な男・村田宗仁を自分の結婚相手として三吉に紹介する。三吉は宗仁に対抗意識を燃やすが、ある夜、その宗仁が密かに人魂を捕らえ、食べていることを知ってしまった。しかし話を聞いた月子は本気にせず、むしろ三吉を臆病者と挑発。それに乗った三吉は、月子に度胸を示すため、宗仁が調理した人魂の天麩羅を食べてしまう。
 するとそれを機に、宗仁は突然「顔が変わった」かのように美男子と化し、月子に本気でプロポーズを始める。月子もまんざらではない。一方三吉は、人魂を食べた影響で体に異変をきたし、事もあろうか顔を失ってしまった。そして月子もまた、宗仁の作った人魂入りケーキを食べ……。

 と、原作はこんな感じのお話です。
 宗仁の正体は、偶然人魂を食べたことで顔を失った人間。しかし彼はその結果をポジティブ(?)に受け止め、世の中から「顔の美醜」という不平等をなくすため、この人魂による霊形手術を広めようと画策します。
 彼の被害者である三吉と月子も、顔を失ったことでようやくその素晴らしい世界に目覚め、宗仁に共鳴。最後は三人が希望に満ちた笑い声を上げながら人魂を培養する――という妙にハッピーエンドな終幕を迎えます。
 「人ならざるものにこそ幸福がある」というのは水木作品の定番要素ですが、どちらかといえば人間の狂気を描いたものとも取れるこの作品。実は貸本時代の長編「人魂を飼う男」のリライトであり、原典となる貸本版では、明確に不気味な予兆を示す終わり方になっていました。
 ちなみに「人魂を飼う男」のタイトル絵は、今回のAパートのアイキャッチにもなっていますね。アニメ版の直接の原作である「霊形手術」ではなく、敢えてこちらを使う辺り、なかなかマニアックです(笑)。

 余談ですが、「人魂を食べて顔がなくなる」というネタは、水木先生のお気に入りと見えて、様々な作品に流用されています。
 有名どころでは鬼太郎の一エピソード、「のっぺらぼう」。それから「悪魔くん千年王国」。
 他にもいくつかあるのですが、共通して「人魂は美味しそう」という感想になります。余談終わり。

 ……で、この「霊形手術」ですが、アニメ版鬼太郎では、第二期に一度アニメ化されています。
 ここでは上の三人の特徴づけが変わり、月子は自身の美貌に満足できない欲深な女、三吉は盲目的に月子を愛する純情で愚かな男、宗仁は妖怪「ずんべら」――と、それぞれアレンジが入りました。
 ずんべらというのは、ここでは妖怪の名前になっていますが、要するに顔がないこと。原作「霊形手術」で、宗仁が自分達を指して「ずんべら」と呼ぶシーンがあることから、それを妖怪名として持ってきたものと思われます。
 もっとも実際の伝承では、「のっぺらぼう」という妖怪の異名として「ずんべら坊」というのがあり、こちらは水木先生も妖怪画に起こしています(今回のBパートアイキャッチ)。一応「霊形手術」のずんべらとは別物なんですが、なかなかややこしいですね。

 ……話が逸れました。
 第二期では、ずんべらは宗仁と違ってあくまで妖怪であり、(ねずみ男や月子にそそのかされて悪事に走りかけたものの)基本的には無害な存在として描かれています。言わばニュートラルです。
 一方三吉は、月子に好かれたいがあまり自分の顔を捨てますが、それを知った月子は、三吉に対して一切の感情も抱かず、ただ自分も「自由に付け替えられる美貌」を手に入れたいと願い、人間であることをやめようとします。
 顔を捨てるという方法こそ同じなれど、月子というただ一つのゴールを求めた三吉と、終わりのない欲望に取り憑かれた月子――。原作では最終的に同類となった二人ですが、アニメ版でははっきりと、対照的な存在として描かれました。
 そして強欲な月子には、最後に恐ろしい報いが……。
 ラストで彼女の身に起きた、あまりにも唐突な悲劇は、冷静になって考えれば、いささか無理やり感は拭えません。ただ、この第二期「霊形手術」は、一言で言えば「演出回」でもありました。全編に渡って溢れる特異な演出が、最後の唐突な展開すら力ずくで納得させてしまう――。そんな怪作だったと思います。
 まあ、今の視点で見ると、「三吉の言動って相当キモいよね~」みたいな身も蓋もない感想も抱いてしまうわけですが……。

 ともあれ、これらを踏まえての、今回の第六期「霊形手術」です(前振り長ぇよ)。

 男性アイドルユウスケに憧れを抱く女子中学生きららは、美しい黒髪を持ち、お洒落な服で着飾った――しかし顔だけはお世辞にも美しいとは言えない少女。彼女はただ醜いというだけで周囲から蔑まれ、どうにもならない自分の顔を憎み続けていた。
 そんな彼女に目をつけたのが妖怪ずんべら(今回は女)。美を求め狂う女を見るのが好きだというずんべらは、きららに「霊形手術」を施す。きららは人魂の天麩羅を食べさせられて意識を失い、眠っている間に「手術」を経て、ついに理想の美貌を手に入れた。……自分の本当の顔が剥がされ、代わりに死人の顔を貼られたとも知らずに。
 美しくなったことで世界が一変し、幸福の絶頂に立つきらら。だがそんな彼女にユウスケは、たとえ前の顔であっても自分はきららのことが好きだった――と告白する。しかしその言葉は、かえって今のきららを傷つけるものでしかなかった。
 やがて自分の顔に起きた恐ろしい真実を知ったきらら。鬼太郎はずんべらに、奪った顔を返すように言う。なぜか素直に言うことを聞くずんべらだが、いざ元の顔が返されようとした瞬間、きららは脱兎のごとく逃げ出した――。

 ……以上、あらすじはこんな感じで。
 顔にちなんだカットが多用され、きららが振り向こうとするたびに見ている側もドキリとする、効果的な演出が光っていました。
 さらに今回は、オチが印象的でした。ユウスケの真の愛によって、元の顔を取り戻すことを決意したきらら。と見せかけて……。
 いや、ここで何かしらどんでん返しがあるだろうことは予測していましたが、どのような結末になるかは、いろいろな可能性が考えられたと思います。
 ちなみに僕がとっさに予想したのは、「実はユウスケも過去に霊形手術を受けていて、本当は作り物の顔なんじゃないか」というオチ。いや、だってあんな心の清い男なんているわけないしさ。←断言
 ユウスケにも何か裏があるはず――と踏んだのですが、見事にハズレでした。まあ、今回のずんべらは、野郎は対象外だったみたいなんで、仕方ないですね。
 (あと、一言茶化していいですか? 女子中学生に手を出したら事案だぜ、兄ちゃん。)

 で、最終的にきららは自分の顔を捨て、美貌のまま(実質、自身が新たな「ずんべら」となって)生きていくことを選択。ユウスケにアカンベーをして微笑み去っていく彼女の姿は実に可憐で、ホラーのバッドエンドなど微塵も感じさせない終わり方でしたが……あるいはこれも、意図された演出だったのかもしれません。
 もしきららの迎えた結末が(第二期のように)おどろおどろしいものであれば、それは紛うことなきバッドエンドであり、彼女が最悪の選択をしてしまったのだと断言できたでしょう。
 しかし恋人よりも美貌を選んだきららに訪れたのは、惨劇ではなく幸せでした。果たして彼女の異常な選択は、過ちだったのか、それとも……?
 原作「霊形手術」のラストで、顔を失った三人がある種の幸福を手に入れたように、きららの末路もまた、狂気とも幸福とも取れる描き方が為されたのではないか――と僕には思えます。

 で、今回は珍しく、視聴後にDVDで第二期版も鑑賞。それを見て気づいたことがありました。
 まず第六期版は「美貌を求める女」というテーマからして、原作の再アニメ化ではなく、第二期版のリメイクを目指したんだな、と感じました。ずんべらという妖怪を用意したところも第二期を踏襲してのことでしょう。そしてきららは、三吉と月子の両方の役割を担う存在……と、ここまで考えたところで、ふと思いました。
 では、そのきららの憧れである男性アイドル・ユウスケとは、いったい「何」なのか、と。
 彼は絶対的な美貌を持ちながら、心からきららを――しかし顔ではなく中身を――愛する、実に純真な男でした。たとえ月子がどのような顔であっても絶対に愛すると言い切ってしまう彼は、まさに盲目的なほどの愛の持ち主。
 ……そう、ここで一つの可能性に気づきます。
 実は――このユウスケこそが、現代版三吉として用意されたキャラクターだったのではないでしょうか。

 顔の美醜という一点に注目してしまうと、あたかもきららが、月子と三吉を両立させているかのように思えます。ですが、実ははっきり「きらら=月子」、「ユウスケ=三吉」と割り振られていたのだと考えると、ここにある構造が見えてきます。
 月子は三吉の盲目的な愛を足蹴にして、己の美のみを求め、人間であることを捨てました。一方きららもまた、ユウスケの盲目的な愛を受け入れる素振りを見せながらも、最終的には彼を裏切り、美貌のままでいることを選びます。
 上の方でも書きましたが、このきららの選択は、自身が人間をやめ、新たな「ずんべら」(=顔のない妖怪)になったことを意味していたと見ていいでしょう。今回の妖怪ずんべらが、「かつては人間の女性だったが、美を求めて死に妖怪と化した」という設定なのは、おそらく、「顔の無いきららが死人を顔をまとって生き続ける」という結末にリンクさせる意図があったため――と思われます。
 ずんべらは、きららが最後に取るであろう選択を、完全に見抜いていました。それは、かつて人間だった頃のずんべらが、今のきららとまったく等しい感情を抱いていたから、なのでしょう。
 ……ユウスケの愛を捨て、自らの意志で妖怪と化したきらら。こうして見ると、第六期版「霊形手術」のきららとユウスケは、実に巧妙に、第二期の月子と三吉を踏襲していた――。そのような気がしてなりません。

 とは言えきららは、月子のように突出したナルシズムを持っているわけではありませんでした。
 きららは自分を着飾る一方で、間違いなくユウスケに恋をしていました。「元の顔のままでもよかった」と言うユウスケに対してきららが辛辣な言葉を吐いたのは、決して本心からではありません。自分が追い求めてきた「美貌」という絶対的な価値観を否定され、自分のこれまでの苦しみに一切の共感を得られないと知った絶望感に突き動かされてのこと――という側面が非常に大きかったものと思われます。
 だから、人間らしい心を持たない月子とは違って、きららはこの時点で、間違いなく人間の心を持っていました。
 何より、一度はユウスケの言葉に心を動かされ、顔を元に戻すことを受け入れました。
 この点が、悲劇を招いた月子とは異なり、きららにとってせめてもの救いだったのだ、と思います。

 そして――だからこそ、最後にきららが選んだ(おどろおどろしさを感じさせない)結末は、心のある人間なら誰もが陥り得る「正常な狂気」だった、とは言えないでしょうか。
 自分の顔に対する執着心は、女も男も関係なく、人間であれば誰もが抱くもの。それは素敵な恋にも勝るほど抗いがたい、真の意味で救い様のない、おぞましい欲望――なのかもしれません。

 原作とも、そして第二期版とも異なる、大きな魅力を抱えた第六期版「霊形手術」。
 純粋にのっぺらぼうを題材にしたホラーとしても完成度が高く、すっきりできない結末にもやもやした先には、意外な哲学が隠されていた――(いや、ほぼただの深読みでしょうが)。
 しっかり堪能させていただきました。


 さて来週は……境港だ! ←そこかよ!
 はい、「海座頭」ですね。第五期では欠席だった巨大鮫さんは出てくるんでしょうか。
 ではまた次回!

テーマ : ゲゲゲの鬼太郎
ジャンル : アニメ・コミック

tag : ゲゲゲの鬼太郎 水木しげる アニメ 妖怪

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