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ゲゲゲの鬼太郎第6期・第54話『泥田坊と命の大地』 感想

 今回の原作は「泥田坊」。過去には第二期の第一話として初アニメ化。以降毎シーズン映像化されている定番エピソードです。
 田圃を失うことになった泥田坊がその怒りを人間に向ける――という基本プロットは常に変わらず。しかし泥田坊が田を失う理由は、原作&過去のエピソードすべてにおいて、毎回異なっています。
 軍事基地。土地開発(漠然)。新幹線。農業の縮小。住宅地化。ゴルフ場&メガソーラー……。このように原因が次々と変わっているのは、やはりそれぞれの作品の、時代的(一部、政治思想的)な背景があってのことでしょう。
 ちなみに前回も少し触れましたが、アニメ版泥田坊のキャラクターデザインが原作どおりになったのは、実は第三期のみ。第六期は、巨大時のみ原作どおりで、終盤に出てくる小型泥田坊については、第五期に近いデザインになっていました。

 そんな泥田坊を巡るエピソードは、ストーリーそのものも毎回味付けが異なっているのですが――。
 今回の第六期は、「人間と妖怪の対立」という部分に主眼を置き、その中で鬼太郎がどちらの立ち位置に付くのか、その葛藤を描く――という、実に「第六期らしい」内容に仕上がっていたと思います。
 土地を奪われた被害者であると同時に、人間の言い分を聞かず躊躇なく殺す泥田坊。
 泥田坊から土地を奪いながらも、そこに自分達の「生」を求める人間。
 どちらにも理があり、非がある。しかし話し合いが成立せず、ただ滅ぼし合うしか道が残されていない――。そんな悲惨な関係の中で、狭間に立った鬼太郎を最終的に「決断」に向かわせたものは何だったのか。
 三十年前に救えなかった命(黒須の父)と、取り残された恨み(幼き日の黒須)。その連鎖を断ち切るため。あるいはもっと純粋に、目の前で散りかけている親子の命を守るため。結果的に鬼太郎は泥田坊を倒し、事件は解決します。
 しかしそれは鬼太郎にとって、苦い結末だったのかもしれません。人間と分かり合うことを覚えたからこその葛藤は、すべてが終わった後でも、鬼太郎の心で渦巻くのでしょう。

 そんなわけで、ストーリー、演出、キャラクターのすべてにおいて、どれもいろいろな意味で刺激的で、素敵な回だったと思います。
 目玉の動きにこだわった泥田坊の出現シーンも凄味があって素晴らしかったですが、それよりも凄味があったのが黒須社長(笑)。
 いや、なかなか濃いキャラでした。過去に泥田坊に襲われて片目を失ったという設定は、彼を、同じ片目である泥田坊と対等の立ち位置に据えるためでしょう。もしくは、鬼太郎も含めてのトライアングルになるのかもしれません。
 そして、きちんと理がある。正確は荒っぽいし、妖怪に対して憎悪を抱いているけれども、人のために真っ当に生きている。だから好感が持てます。

 昔から鬼太郎作品では、「人間が自然を破壊し妖怪の居場所を奪った結果、妖怪が人間に牙を剥く」というプロットが、頻繁に描かれてきました。そんな時は原作アニメ問わず、往々にして人間側が「悪」であるとされました(そりゃもうコテコテの悪人として描写されます)。
 特にアニメ版では、最終的に鬼太郎が妖怪側に立って人間を懲らしめるという展開も多く、逆に人間側に非が無い場合は、鬼太郎が仲介役となって和解に持ち込む――というのがお決まりだったわけです。
 もちろんこれは、アニメの対象年齢も考慮した上で、勧善懲悪や共存といったものを歴代スタッフが提示してきたからです。
 ところで、今回の黒須社長はどうだったでしょう。彼は「悪」でしょうか。それとも「善」でしょうか。
 答えは、どちらでもありません。……いや、彼は人としては「善」です。ただし妖怪にとっては「悪」です。
 このような人物を登場させた上で、死なせず、共存の道も歩ませず――ただし後味のいい幕引きに至らせたこと。これが、今回のエピソードを強く光らせる形になったのではないか、と僕は思います。

 今回の話を見ていて、ふと思い出したのが、第四期の「穴ぐら入道」のエピソードです。
 トンネル工事を進める人間が、真っ当な理を持ちながらも、「悪」として描かれていたこと。穴ぐら入道の自己犠牲を無視して工事を再開した彼に、鬼太郎が怒りのあまり拳を叩きつけ、力なく崩れ落ちるラスト。やるせない一方で、感情に任せて拳を振るうという「第四期の鬼太郎」らしからぬ行動に、見ていて戸惑いを覚えた記憶があります。
 おそらくあの時のエピソードは、今回の「泥田坊」と同じテーマを描いていたのでしょう。
 ただ、泥田坊と違って穴ぐら入道が善良な妖怪であったことで、人間側が完全に悪者になってしまい、何の救いもないムナクソなだけの終わり方になってしまったのは、今にして思えば残念なところです。

 話変わって、今回気になった点。
 ここまでの流れを覆すようで何なのですが……というか、今回だけに限らず、過去のいくつかの「泥田坊」のエピソードにも言えることなのですが。
 果たして泥田坊というキャラクターは、「人間と妖怪、文明と自然の対立」の象徴としてしまっていいものなんでしょうか。
 いや、田圃に執着する妖怪なんですよね? 田圃を潰されるのが嫌なんですよね?
 でも田圃って、思いっきり人間の文明の産物ですよね?
 本来自然の中にある植物を人間が管理する時点で、それはもはや自然そのものではないし、そもそも「農業=自然=善」という安易な発想はどうなのかと。
 そりゃ田圃に住んでる妖怪が住み家を奪われるのは可哀想ですが、そこに「文明への警鐘」というテーマを絡めると、途端に矛盾してしまうよな~、と思った次第であります。
 まあ、ささやかなツッコミです。はい。


 というわけで、今回はここまで。
 次回は狒々! 一応原作にも登場しているキャラクターですが、ストーリーはオリジナルでしょうね。
 ではまた!

テーマ : ゲゲゲの鬼太郎
ジャンル : アニメ・コミック

tag : ゲゲゲの鬼太郎 水木しげる 妖怪 アニメ

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