映画「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」のメデューサについて

 もう一週間ぐらい前ですが、「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」を劇場へ見に行きました。
 で、作品に対する私自身の感想は置いておくとして。ネット上で他の方々のレビューを読んでいると、メデューサに関連した、ある共通する意見が頻繁に出ていることを知りました。それがちょっと面白く感じたので、個人的な見解など書いてみたいと思います。
 以下、ネタバレしますので、お気を付けください。


 問題の共通意見というのは次の二点。


1.【メデューサ戦にて。ヒロインの腕をつかんでいたオバチャンがそのまま石像にされてしまい、ヒロインは逃げ出すことができない。だがその時、仲間の一人が気を利かせて、石になったおばちゃんの腕を叩き壊してくれる。おかげでヒロインは無事逃げることができた。】
 このシーンが残酷。石にされたオバチャンを助ける気など毛頭ない主人公チームに、ドン引きした。

2.【本編終了後、エンドロールの間に挟まれるおまけのシーン。主人公に辛く当たっていた憎まれ役のオジサンが、冷蔵庫の中にしまわれていたメデューサの生首を見て、石化してしまう。】
 一応冷蔵庫に貼ってあった「開けるな」という注意書きを無視したとはいえ、どう見ても主人公がオジサンを殺しているとしか思えない。確かに酷い人間ではあったが、殺されるほどではない。やりすぎではないか。


 まず1について。
 実はこれ、私も映画を見ていて、似たようなことを感じました。
 まあ、あくまでブラックユーモアと受け取っただけで、特にドン引きはしなかったのですが……ただ、「元に戻す方法がある」と勝手に思い込んでいたので、拍子抜けしたのは間違いありません。
 だってそうじゃないですか。普通はメデューサを倒したら、石にされた人間も元に戻るものでしょう? いや、蛇みたいな髪を引っ張ったら元に戻るのかもしれないし、ベラドンナの汁で洗ってもいいし。もういっそのこと、石化解呪の魔法とか――。

 ……んなもん、原典のギリシャ神話にはないのでした。はい。
 
 この「元に戻る」という要素。全部、漫画やゲームなどの影響で、すり込まれていたものです。
 そもそも本来「メデューサに石にされる」というのは、「死ぬ」と同義です。要するに、「メデューサを見れば死ぬ」だけです。ヤツの殺傷能力がハイスペックすぎるという、ただそれだけのことなんです。
 そんな基本的なところをスルーして、思いっきり漫画の影響そのままの思考をしてしまったのは、迂闊(?)でした。

 「石化した人間を救う方法がある」というのは、言い換えれば「(主人公サイドが)石化しても大丈夫」ということです。だからストーリーを盛り上げるために、二、三人石にしておいて、後でそれを助ける――という展開が、石化モンスターとの戦いでは、もはやお約束と化しています。
 ところが「パーシー・ジャクソンと(以下略)」では、あくまで本来の救いないメデューサ戦が強いられています。だから実はこれ、相当スリリングなシーンだったはずです。何しろ一撃死と隣り合わせなのですから。
 なのに、「どうせ助かる方法があるんでしょ?」みたいな目で鑑賞してしまうと、面白さも半減なんですね。そして多くの日本人(というか漫画・ゲーム世代?)は、その達観した目で、このシーンを鑑賞していたのではないか。だからこそ、オバチャン粉砕が笑えないことになってしまったのではないか……と。
 まあ、そんな考察でした。

 ちなみに、「じゃあ死んでいたら腕を壊してもいいのかよ」という意見もあると思いますが――。
 倫理的にはアウトでしょう。でもブラックユーモアとしてはセーフではないかと。
 
 ところで。
 もし自分が殺されるかもしれないという瀬戸際の状況で、オバチャンの死体が邪魔で逃げられなかったら……。あなたはその死体、どうしますか?


 次に、2についてですが。モンスターパニック愛好家として一言。
 こんなの、ただの楽しいお約束ですがな。

テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

tag : 映画 モンスター

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